教材文字  富士宮市

概要 [編集]

富士氏が大宮司を務める富士山本宮浅間大社の門前町として栄えた。中道往還の宿場町としての顔もあり、戦国時代には楽市が行われた。 古来より地理的にも文化的にも富士山との関わりが深く、富士信仰とも関わる。富士山の湧水が豊富であり水に関する工業が盛んである他、観光も盛んである[2]。
「富士宮市」という都市名の由来は、「富士の宮」という浅間大社の旧社号から由来する[3]。古くは『今昔物語集』の「駿河国富士神主帰依地蔵語第十一」や『新勅撰和歌集』など、平安時代や鎌倉時代の古文集にもみられる古来から存在する名称である。


市名の由来ともなった富士山本宮浅間大社 (徳川家康造営)
地理 [編集]

気候 [編集]
市域の高低差が3,741mあり日本一高低差のある市である。(最低35m、最高3,776m)。したがって地区により気候の差異が認められ、冬季は山梨県との県境付近では雪は見られるが、逆に市街地で雪が降るのは非常に稀である。中心市街地周辺は富士山がはっきりと望める一方、標高が低いために比較的温暖である。
年間の平均気温は15.6度である。[4]
地形 [編集]


白糸の滝(名勝および天然記念物)
市の約半分が富士箱根伊豆国立公園の区域内であり[5]、市北部には朝霧高原が広がり、その周辺には日本の滝百選の白糸の滝・音止めの滝、ダイヤモンド富士のスポットとして知られる田貫湖といった自然観光地を持つ。
富士登山道の一つである富士宮口を構える。2008年に皇太子徳仁親王が富士登山をされた際はこの登山口から登られた。富士山には大規模な侵食谷である大沢崩れは災害を引き起こす危険性があるため、国土交通省の直轄事業として砂防事業が行われている。
峡谷 : 釜口峡
湖沼 : 田貫湖、湧玉池
瀑布 : 白糸の滝、音止めの滝、陣馬の滝
山 : 富士山、天子山地(雨ヶ岳、毛無山、長者ヶ岳、天子ヶ岳)、白鳥山、森山、白尾山、羽鮒山、明星山
河川 : 富士川 、潤井川、芝川、大倉川、神田川、弓沢川、五斗目木川、稲子川、内房境川、稲瀬川、廻沢川
隣接している自治体・行政区 [編集]
静岡県
静岡市(清水区)
富士市
御殿場市
駿東郡小山町
山梨県
南巨摩郡南部町
南巨摩郡身延町
南都留郡富士河口湖町
南都留郡鳴沢村
富士吉田市
人口 [編集]


富士宮市と全国の年齢別人口分布(2005年) 富士宮市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 富士宮市
■緑色 ― 日本全国
■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
富士宮市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 99,021人
1975年 110,580人
1980年 118,214人
1985年 122,653人
1990年 127,127人
1995年 129,999人
2000年 130,372人
2005年 131,476人
2010年 131,996人
総務省統計局 / 国勢調査
市名の由来と略号 [編集]

前述のように、富士宮市の市名の由来は浅間大社の「富士の宮」から由来している。『今昔物語集』には「今昔、駿河ノ国ノ富士ノ宮二、神主ナル者有ケリ…」とあり、『新勅撰和歌集』の北条泰時の歌の詞書には「駿河国に神拝し侍りけるに、ふじの宮にてよみて奉りける」とある。
当地ニハ駿河国一ノ宮官幣大社浅間神社鎮座セラレ、其ノ奥ノ宮ハ富士山頂ニ鎮座マシマシテ、一名富士ノ宮トモ称セラレ、往昔ヨリ人口ニ膾炙セラレ、依テ新市ノ名称トシテ真ニ相応シク、之ニ付テハ両町村共何等異議ナキヲ以テ、新市ノ名称ハ富士宮市ト称ス。

? 内務省告示第360号

略号として「宮」と略すことも多い。例として以下のようなものが挙げられる。またこれらは栃木県宇都宮市も同様であり、市章に「宮」を模っている点でも同様である。
宮バス、宮タク
宮おどり(市制施行50周年記念事業として創作)
市章(旧大宮町が昭和9年4月に町章に制定したものを継続して使用)
宮っカフェ(富士宮市役所1階で営業しているカフェ)
歴史 [編集]

市の行政の歴史については、富士宮市#行政の歴史を参照
古代 [編集]
千居遺跡発掘(⇒少なくとも縄文時代以前には人々が住んでいた)。
800年?802年(延暦19?21年) - 富士山が噴火(延暦大噴火)し、大きな被害を受ける。
山宮浅間神社が遥拝所として使われるようになり、富士信仰の中心となる。
806年(大同元年) - 平城天皇の命により坂上田村麻呂が現在地の大宮の地に富士山本宮浅間大社の社殿を造営。
864年(貞観6年) - 富士山が噴火(貞観の大噴火)し、大きな被害を受ける。
1149年(久安5年) - 末代上人が富士山頂に大日寺を建てる。
中世 [編集]
鎌倉時代から室町時代
源頼朝が富士山本宮浅間大社の社領を寄進。
源頼朝が朝霧高原で富士の巻狩りを行う。
1193年(建久4年)6月28日(旧暦 5月28日) - 曾我兄弟の仇討ちが起こる。
北条義時・足利尊氏・足利持氏が富士山本宮浅間大社の社殿を造営。
富士氏により大宮城が築城(室町時代後期の説が有力)される。
1317年(文保年間)- 頼尊が村山に富士山興法寺を開く。
1482年(文明14年)-富士山興法寺が聖護院の末寺化。
1493年 - 山本勘助生誕。(山本勘助は甲斐武田家に仕えた足軽大将で、『甲陽軍鑑』においては生誕地とされている)
戦国時代
1533年 - 今川義元により村山三坊が信仰の地として管理されるようになる。
1566年(永禄9年) - 今川氏真により楽市が行われる。
1569年(永禄12年)2月 - 武田軍の穴山信君と葛山氏元の連合軍の攻撃を富士信忠が退ける。
武田信玄・武田勝頼が、富士山本宮浅間大社の社殿の修造を行う。
豊臣秀吉が富士山本宮浅間大社の社領を寄進。
1582年(天正10年) 織田信長・徳川家康連合軍が侵攻し、大宮城が焼失。
角行が、富士山麓の人穴にこもり、修行を行う。
江戸時代以降
1604年(慶長9年) - 徳川家康によって富士山本宮浅間大社の社殿が造営される。
宝永大噴火により大被害を受ける。
1779年 - 江戸幕府の裁定により富士山本宮浅間大社が富士山の8合目以上を支配することが認められる。
1860年 - ラザフォード・オールコックが外国人として初めて富士山を登る(村山口)。
1896年(明治29年)7月8日 - 富士山本宮浅間神社が官幣大社に昇格。
1906年 - 富士山登山道である大宮口新道が開かれ、旧登山道(村山口)にとって変わることとなる。
1909年 - 富士山頂郵便局が開設される。
現代 [編集]
1952年 - 当時の富士郡上野村(1958年4月1日編入)において参議院補欠選挙での村ぐるみの不正を告発した女子高校生が一家共々村八分にされるという事件が発生。
1971年 - 全世界のボーイスカウトの最大行事である第13回世界ジャンボリーが開催された。
1982年3月11日 - 「富士山本宮浅間神社」から「富士山本宮浅間大社」へ改名。
2006年 - 富士山本宮浅間大社御鎮座1200年祭。
2010年
ラザフォード・オールコックの富士登山より150周年。
8月2日から8日の間朝霧高原にて第15回日本ジャンボリーが開催され、開会式には皇太子さまも出席された[6]。
9月に山宮浅間神社鎮座1900年祭が行われた。
観光 [編集]



田貫湖
観光資源として、市北部に富士山の恩恵を受けた自然資源があり、市中心部は富士山本宮浅間大社や湧玉池といった歴史的建造物がある。また近年、御当地人気料理特選とされる富士宮やきそばがメディアに取り上げられ有名になっている。
観光客用に駐車場(無料)を備えた富士山せせらぎ広場がある。また、市内にお宮横丁など富士山の湧水を自由に飲めるスポットが点在する。富士宮市役所7階には富士山展望フロアが設けられている(平日のみ開放)。
朝霧高原周辺はキャンプ場やゴルフ場が多い。
観光・景勝地 [編集]
アクセス [編集]
南方向に東名高速道路・新東名高速道路があり北方向に中央自動車道といった高速道路が通るため、以下のルートが考えられる。特に市北部は中央自動車道からのアクセスもよい。
道の駅朝霧高原までの所要距離[7]
東名高速道路富士IC・新東名高速道路新富士ICから西富士道路小泉IC経由25km
中央自動車道河口湖ICから国道139号経由約25km
中央自動車道甲府南ICから国道358号を通り国道139号経由約30km
市北部 [編集]


狩宿の下馬ザクラ(特別天然記念物)
富士箱根伊豆国立公園
富士山(宝永山)
白糸の滝(お鬢水)
音止めの滝(曾我の隠れ岩)
田貫湖
毛無山
朝霧高原
レジャー施設
富士ミルクランド
まかいの牧場
もちや遊園地
ASAGIRI Field Dogs Garden
富士花鳥園
その他
奇石博物館
富士養鱒場
狩宿の下馬桜
盲導犬の里 富士ハーネス

市中心部 [編集]
湧玉池
お宮横丁
白尾山公園
富士山せせらぎ広場
富士登山 [編集]
登山道の1つである富士宮口をもつ。新五合目までの交通手段としては、車で静岡県道152号富士公園太郎坊線(富士山スカイライン)まで、富士宮駅からの登山バス利用が考えられる。
登山バス(富士急静岡バス)
富士宮駅までのバス
都心からの高速バス(富士宮市#バス)
静岡空港から(富士宮市#静岡空港)
寺院・史跡 [編集]
富士山本宮浅間大社や富士五山などの寺院や史跡等が点在している。
富士山本宮浅間大社
山宮浅間神社
村山浅間神社
富士五山
大石寺
北山本門寺
西山本門寺
小泉久遠寺
下条妙蓮寺
若獅子神社
人穴富士講遺跡
祭事 [編集]
富士宮市の主な祭事は、市HPを参照
浅間大社では初詣、流鏑馬祭といったイベントがある(浅間大社の祭事)。
月 名称
3月 ますつり大会
4月 表富士燈回廊、表富士自転車登山競走大会
8月 富士山御神火まつり、宮おどり大会(商店街)、陣馬の滝まつり(陣馬の滝)
9月 富士の巻狩りまつり(白糸の滝、8・9日)
11月 富士宮秋まつり(商店街)
名産品・グルメ [編集]
富士宮やきそば
富士宮やきそばは御当地人気料理特選として、またB級グルメとして知られるグルメである。富士宮市は、その歴史的背景から主に戦後にやきそばを売るお店が増えはじめ、地域に根付いたものとなっている。2000年には「富士宮やきそば学会」が発足している。
ニジマス(市の魚)
ニジマスは、生産量が全国1位であるといった理由から富士宮市の市の魚に指定されている[8]。県の施設である静岡県水産試験場富士養鱒場ではニジマスの料理などが出されている。
日本酒(銘柄:高砂、白糸、富士正酒造)
富士山の湧水を使用するという特徴を持つ。
曽我漬
名前の由来は日本三大仇討ちの1つである曾我兄弟の仇討ちからなる。また、わさび漬けも同じく名産である。
駿河半紙
三椏紙の1種で、特に市内の白糸地区は、駿河半紙の生産地として発展してきた経緯がある。現在は白糸の滝付近に、三椏の栽培の記念碑が建てられている。後に後藤清吉郎の活動・研究により、駿河半紙が復活された。[9]
静岡茶
市内から、皇室への献上茶にも選ばれた経歴のある銘柄もある(「やま文」「やま善」)[10]。またこの献上茶は、首相にも贈呈されている。[11]
たけのこ
旧芝川町地区の名産
その他ご当地 [編集]
いただきます検定
フードバレーとしてのまちづくりを目指す富士宮市の食に関するご当地検定。
富士宮プロレス
交通 [編集]

公共交通機関におけるICカード [編集]
富士宮市内に営業所を置くバス会社はPASMOが導入されている。
鉄道では身延線の源道寺駅 - 富士宮駅- 西富士宮駅においてはICカードTOICAが導入されている。しかし、TOICAとPASMOは相互利用不可である。
道路 [編集]
自動車専用道路
西富士道路 : 小泉IC
富士宮道路 : 外神IC - 北山IC - 上井出IC - 内野IC
一般国道
国道52号
国道139号(一部区間自動車専用道路)
国道469号
県道
主要地方道
静岡県道10号富士川身延線
静岡県道25号富士宮芝川線
静岡県道53号富士宮停車場線
静岡県道・山梨県道71号富士宮鳴沢線
静岡県道72号富士白糸滝公園線
静岡県道75号清水富士宮線
静岡県道76号富士富士宮由比線
一般県道
静岡県道152号富士公園太郎坊線
静岡県道158号大坂富士宮線
静岡県道180号富士宮富士公園線
静岡県道182号三沢富士宮線
静岡県道184号白糸富士宮線
静岡県道190号塩出尾崎線
静岡県道192号宍原塩出線
静岡県道397号富士根停車場線
静岡県道398号上稲子長貫線
静岡県道414号朝霧富士宮線
林道
林道湯之奥猪之頭線
道路愛称
富士宮バイパス(国道139号小泉IC-外神IC間)
富士山スカイライン
鉄道 [編集]
東海旅客鉄道(JR東海)
身延線
源道寺駅 - 富士宮駅(主要駅) - 西富士宮駅 - 沼久保駅 - 芝川駅 - 稲子駅
バス [編集]
営業所
富士急静岡バス富士宮営業所 
山交タウンコーチ静岡営業所
路線バス
主に富士宮駅を起点として、市内外各方面に路線バスが運行されている。[12][13]
各路線ではPASMOが使用できる。
富士急行グループにより、市内各方面、富士市(吉原中央駅方面など)の一般路線のほか新富士駅・河口湖方面への観光路線が運行されている。
山交タウンコーチにより、JR東海道線富士川駅(旧富士川町 (静岡県))方面に向かう1路線が運行されている。
コミュニティバス : 富士宮市により3種類の公共交通サービスが提供されている。[14]
「宮バス」(富士宮市中心部で運行)
「芝川バス」(旧芝川町域で運行)
「宮タク」(富士宮市中心部と郊外を結ぶバス路線が廃止された交通空白地域における、会員登録・事前予約型のデマンド型乗合タクシー。)
高速バス : 高速バス路線は東京・横浜方面や関西方面に至る経路など複数有する。
富士宮 - 東京駅(やきそばエクスプレス) ---JRバス関東・富士急静岡バス
富士宮・富士・沼津〜横浜・羽田空港 ---京浜急行バス・富士急静岡バス
富士吉田・富士宮?京都・大阪【夜行】(フジヤマライナー) ---近鉄バス・富士急山梨バス
富士山新五合目(富士宮口)?静岡駅【季節運行】 ---富士急静岡バス
産業 [編集]

工業はかつて製紙業が盛んであったが、近年は輸送用機器・化学工業・医療用機器などを中心としたものとなっている。富士宮市の工業の推移は増加傾向にあり、また工業団地が点在しており現在着工中の工業団地(富士山南陵工業団地)も存在する。
製造品出荷額等は2007年度で7933億7622万円となっている。[15]
第一次産業 [編集]
第一次産業は3.6%と最も低い割合であり、[16]富士山の西麓に広がる朝霧高原を中心として第一次産業が行われている。富士山のわき水が豊富であることから、ワサビの栽培やニジマスの養殖も行われており、市町村単位では2006年現在、ニジマス生産量日本一である。
第二次産業 [編集]
第二次産業は42%である[16]。豊富な伏流水を利用した水に関係する産業が中心となっている。
第三次産業 [編集]
市内では54%と、第三次産業の割合が最も大きい。[16]
本社や工場(支社)をおく企業 [編集]
上場企業の本社
日本プラスト
エッチ・ケー・エス
本社以外
アサヒ飲料
森永乳業
松屋フーズ
テルモ
小野薬品
日本デリカフレッシュ
富士フイルム
高木産業
ユニプレス
ニッピ
河西工業(河西テック)
エリエールペーパーテック
王子特殊紙
ジヤトコ
富士カプセル
アマダ
星光PMC

工業団地 [編集]
富士宮鉄工団地
富士宮北山工業団地
富士山南陵工業団地
商業 [編集]
富士宮市が属する富士宮商圏の商圏人口は405,261 人である。地元購買率(物品全体)が83.0%と高く、静岡県の中では第1位で静岡市が82.5%とそれに次ぐ。[17]
富士宮駅前には古くから長崎屋とユニー、ヤオハン、マキヤといった大規模小売店が進出していた。しかし駅前の密集地で床面積の拡大がしづらいこと、同業者が複数乱立することによる過当競争などから、後にヤオハンとマキヤは駐車場も含めた広い土地が確保できる郊外へと移転していった。[18]
移転したうちヤオハンについては、1980年代初頭には神田通りの旧店舗[19]から国道139号線阿幸地北交差点付近へ移転開業した。その後のバブル期には周辺の土地を更に購入し、店舗面積を更に拡大していった。しかしバブル崩壊を受け業績が急速に悪化したヤオハンは1996年に同社の複数店舗をダイエー系列で首都圏を中心に営業していた中堅スーパーのセイフーに売却。同所も売却対象に入っていたことから、一旦閉店の上でセイフーとして再オープン(後にダイエー本体の店舗へと移管)したものの、業績不振から僅か2年で撤退となった。[20]
一方、駅前の2店も老朽化と拡張の困難さに悩まされ、2001年にイオン富士宮SC(現イオンモール富士宮)が開業を決定したことで、これを契機としてどちらも同所からの撤退を決定した。[21]
地域 [編集]

南に公共交通機関が分布し中心市街地を構成、市域の縦に国道139号、横に国道469号と十字に国道が通る構成である。北部は観光地化が進む。
地区 [編集]
富士山麓地区
全域が富士箱根伊豆国立公園の区域内となっており、富士山や朝霧高原などの観光資源を活用した地域づくりを展開している。西富士道路の無料開放や新東名高速道路開通など、ここ近年の交通インフラの発展を契機に、企業誘致や観光地への更なる集客増加が期待される。最近では、複数の地元食品関連企業で構成される協同組合によって運営される「あさぎりフードパーク」が道の駅朝霧高原南隣にオープンした。
中心市街地
富士宮駅を中心として広がり、市立病院などがある。市の公共交通機関の中心である。
現在、富士宮駅周辺が開発地域の中心となっており、計画が進められている。また、高架化の際、道路区間の整備も合わせて行われるため、アクセス上の利便性が望める。
富士宮駅北口のペデストリアンデッキと両側に接続されていた旧長崎屋(七階建ての一部と接続)とボウリング場が各地権者により解体されたが、駅前という立地から利用方法が懸念されている。市と提携し、公共施設を取り入れた複合施設を作る計画がある。[22]
駅前には商店街が広がっている[23]。
主な商業施設(中心市街地型): イオンモール富士宮(旧イオン富士宮ショッピングセンター)
国道沿い
国道139号などを中心にロードサイド店舗が多い。
主な商業施設(郊外型): ピアゴ(旧ユニーサンテラス)富士宮店・マックスバリュ富士宮若宮店、富嶽温泉花の湯(時之栖)
旧芝川町地区
稲子川温泉や瓜島温泉といった温泉が沸く温泉地であり、温泉施設として新稲子川温泉ユートリオなどがある。
景観 [編集]
富士山の景観を守るため、指定区域に基づき建築物の高さの最高限度は38mと決められている(例外を除く)。
中央・駅前地区では、門前町としての風景を残すために、地区景観形成モデル地区として補助金などを投入した景観の誘導が行われている。
マスメディア [編集]
岳南朝日新聞
岳陽新聞
富士コミュニティエフエム放送
イベント・催事 [編集]
ロケが行われた作品・場所については、静岡県内でロケが行われた作品を参照
1971年 - この年から富士宮駅伝競走大会が開催され、以後毎年行われている。
1975年9月 - 朝霧高原で第1回「全日本ハムベンション」(現在のアマチュア無線フェスティバル)が行われた。
1998年 - 世界女子ソフトボール選手権が開催された。
2001年 - この年から毎年、野外音楽フェスティバル朝霧JAMが開催されている。
2002年 - 富士宮市が市政施行60周年を迎えるにあたり「歓麗喜楽座」というイベントが6月1日?2日開催された。
2006年
4月 - この年から表富士自転車登山競争大会が開催され、以後毎年行われている。
10月 - 富士山本宮浅間大社1200年祭が10月27日?29日の間行われ、その際過去撤去された大鳥居が場所を変え再建された。
2007年 - 第2回B-1グランプリが6月2日・3日に行われ、2日間で25万人が来場した。
2008年
9月(2007年・2008開催) - 「富士ハーネス」を大会会場とし、Mt.FUJI エコ・サイクリングが行われた。
10月 - 環富士山地域のB級グルメが集まり、「富士山B-1フェスタin富士宮」が行われ、約5万人が来場した。
2009年 - 第24回国民文化祭において、「マウントフジ グランドフード フェスタ」など市内では4つのイベントが開催された。
医療 [編集]

市の医療の中核をなすのが、富士宮市立病院である。富士宮市立病院は市街地に位置し、主要駅からのアクセスなども良好である。
医療施設
富士宮市立病院
独立行政法人国立病院機構静岡富士病院
救急医療センター
救急医療
救急医療として「富士宮市救急医療センター」が設けられている。
団体
団体としては社団法人富士宮市医師会がある。(詳しくは富士宮医師会を参照)
行政 [編集]

市長:須藤秀忠(2011年4月27日就任 1期目)
衆議院議員総選挙の小選挙区は静岡県第4区。
行政の歴史 [編集]
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、大宮町とその他8村が成立。
1942年(昭和17年)6月1日 - 富士郡大宮町、富丘村が合併し富士宮市誕生。富士郡より離脱。合併当時人口の約32,000人[24]
1947年(昭和22年)4月6日 - 第1回公選市長誕生。
1948年(昭和23年)10月6日 - 富士宮市教育委員会発足。
1955年(昭和30年)4月1日 - 富士根村と合併。
1958年(昭和33年)4月1日 - 北山村、上井出村、白糸村、上野村を編入。
1968年(昭和43年)8月3日 - 近江八幡市と夫婦都市となる。
1975年(昭和50年)7月22日 - 米国・サンタモニカ市と姉妹都市となる。
1983年(昭和58年)3月20日 - 市長・市議会のダブルリコールによる住民投票が行われ、市長は解職、市議会は解散の結果が出た。
1987年(昭和62年)11月 - 市役所の移転先が現在地(旧・市立体育館一帯)に決定。[25]
1991年(平成3年)11月1日 - 市役所を元城町1番1号から現在地に移転。
1992年(平成4年)6月1日 - 富士宮市が市政施行50周年を迎える。
1997年(平成9年)11月11日 - 中国・紹興市と友好交流関係都市となる。
2008年(平成20年)5月27日 - 神奈川県秦野市と災害相互応援協定を交わす。
2010年(平成22年)3月23日 - 富士郡芝川町を編入。
市・県管理の施設 [編集]
市の主な施設(教育施設・厚生施設など)は、市の施設の開庁時間を参照
文化施設など
ホール
富士宮市民文化会館
公民館・地域学習センター : 12館
市役所出張所 : 4ヶ所
図書館
富士宮市立中央図書館
富士宮市立西富士図書館
スポーツ施設・公園
山宮スポーツ公園(静岡県ソフトボール場、山宮ふじざくら球技場)
ふじのみやスポーツ公園(富士宮市民体育館、富士宮市民プール、外神スポーツ広場、富士宮市民テニスコート)
静岡県立朝霧野外活動センター
朝霧アリーナ
その他公園については、市内の主な公園を参照
交流都市 [編集]
夫婦都市
滋賀県近江八幡市
神様が土を掘り、その土で作られたのが富士山であり、掘った後にできたのが琵琶湖であるという古事記の富士山伝説をもとに、1968年8月、夫婦(めおと)都市の提携が結ばれる。
富士宮市からの結納品は桜の木。近江八幡市からの結納がえしはヒゴイ。
1996年、災害時の相互応援の協定を結ぶ。
防災相互協定都市
東京都日野市
神奈川県南足柄市
神奈川県秦野市
姉妹都市
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンタモニカ市
創価学会による国際友好親善パレードをきっかけに友好関係が生まれる。
1975年7月21日、サンタモニカ市100周年記念式典の席上で姉妹都市の提携が結ばれる。
主な交流
高校生交換学生事業。富士山の宝永遊歩道探索など。
サンタモニカ市少年少女サッカーチームが富士山カップ全国少年少女サッカー大会に参加。
市民訪問団派遣、絵画交換、日本文化の体験など。
友好交流関係都市
中華人民共和国浙江省紹興市
富士宮市内の企業が紹興市へ技術指導に行ったのをきっかけに経済交流が行われる。
紹興市からの友好提携の申し入れを受け、1997年11月11日、友好交流関係都市提携の調印を行う。
主な交流は中学生派遣研修事業、市民交流など。
食のまちづくり交流宣言都市
福井県小浜市
フラワーフレンドリーシティー
神奈川県南足柄市
教育 [編集]

高等学校
県立
静岡県立富士宮西高等学校
静岡県立富士宮北高等学校
静岡県立富士宮東高等学校
静岡県立富岳館高等学校
私立
星陵高等学校
その他 中学校 - 市立13校
詳細は静岡県中学校一覧の富士宮市を参照
私立
星陵中学校
小学校 - 市立22校
詳細は静岡県小学校一覧の富士宮市を参照
専門学校
日本建築専門学校
文化財一覧 [編集]

重要文化財(国指定) [編集]
名称 所在地・所蔵 指定年月日
富士山本宮浅間大社本殿 富士山本宮浅間大社 1965年(昭和40年)5月27日
大石寺五重塔 上条大石寺 1966年(昭和41年)6月11日
絹本著色富士曼荼羅図 富士山本宮浅間大社 1977年(昭和52年)6月11日
太刀 銘南無薬師瑠璃光如来 備前国長船住景光 富士山本宮浅間大社 1970年(昭和45年)2月8日
脇指 銘奉富士本宮源式部亟信国 一期一腰応永廿四年二月 日 富士山本宮浅間大社 1970年(昭和45年)2月8日
日蓮自筆遺文26巻 上条大石寺 1967年(昭和42年)6月5日
太刀 銘吉用 上条大石寺 1923年(大正12年)3月28日
貞観政要 巻第一 日蓮筆 北山本門寺 1952年(昭和27年)7月19日
細字金字法華経 北山本門寺 1954年(昭和29年)3月20日
日蓮遷化記録 西山本門寺 1993年(平成5年)1月20日
法華証明鈔 西山本門寺 1952年(昭和27年)7月19日
法華経 西山本門寺 1949年(昭和24年)2月18日
紺紙金字法華経 西山本門寺 1949年(昭和24年)2月18日
史跡・名勝・天然記念物(国指定) [編集]
名称 指定 指定年月日
富士山 特別名勝 1952年(昭和27年)11月22日
狩宿の下馬ザクラ 特別天然記念物 1952年(昭和27年)3月29日
湧玉池 特別天然記念物 1952年(昭和27年)3月29日
白糸の滝 名勝・天然記念物 1936年(昭和11年)9月3日
万野風穴 天然記念物 1922年(大正11年)3月8日
千居遺跡 史跡 1975年(昭和50年)6月26日
大鹿窪遺跡 史跡 2008年(平成20年)3月28日
その他文化財については、市・県指定の文化財を参照
出身人物 [編集]

歴史人物
富士氏一族
山本貞幸
小泉次大夫
俳優・女優
秋吉久美子(女優)
里見浩太朗(俳優)
藤木孝(俳優)
渡辺梓(女優)
佐野瑞樹(俳優)
佐野大樹 (*pnish*)(俳優)
音楽
山田貴洋(ASIAN KUNG-FU GENERATION)
清水香織(歌手)
佐野量子(元タレント、歌手。現・武豊夫人)
ゴンガーシホ(ギタリスト)
スポーツ
澤登正朗(元サッカー選手、サッカー解説者・指導者)
高野進(陸上)
田山真輔(スケルトン)
植松寿絵(女子プロレスラー)
佐野吉宗(プロバスケットボール選手)
斉藤肇(元プロ野球選手)
平岡康裕(サッカー選手)
吉田豊(サッカー選手)
大井逸都(サッカー選手)
遠藤雄介(総合格闘家)

アナウンサー・ジャーナリスト
小熊美香(日本テレビアナウンサー)
水島絵理(NHK静岡放送局アナウンサー)
安部真由美(フリーアナウンサー)
青木和雄(元アナウンサー)
永田雅一(海洋ジャーナリスト)
政治
大島令子(政治家)
前島秀行(政治家)
学界
高瀬荘太郎(会計学者、政治家)
赤池弘次(統計学者)
佐野圭司(医学者)
その他分野
望月軍四郎(実業家)
コトブキツカサ(芸人)
御宿至(彫刻家)
伊藤れいこ(タレント